佐々木製茶株式会社 佐々木製茶株式会社

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100年のあゆみ

茶製造元「かねじょう」のはじまりは大正10年



茶製造元「かねじょう」の歴史は、大正10年に祖父が茶を栽培したことからはじまりました。
当時、稲作以外の農業を模索していた祖父は、お茶かカイコ(養蚕)に取り組みたいと考えていましたが、祖母が虫を苦手としていたこともあり、お茶の栽培を選んだと聞いています。
初めて取り組んだお茶の栽培は、毎日が試行錯誤の連続でしたが、隣町に住む帯金さんという方がお茶の育て方や、お茶の揉み方を親切に教えてくれたそうです。


「かねじょうの」↴は大工さんが使う尺金(サシガネ)を表し、仕事の丁寧さを意味しています。そして「かねじょう」の上は上質なお茶づくりへの約束を語っているわけですが、もっと深い想いには恩師である帯金さんの金、そして地名である上内田の上、それぞれの文字が敬愛を込めて組み合わせられているのであります。
今でも毎年、その年の新茶が始まると、私は帯金さんのご生家に揉みたての新茶をお持ちして、ご仏壇にお供えして頂くようにご挨拶を欠かしません。



あれから約100年のお茶づくりの道、決して平坦な道のりではありませんでした。
お茶は特に春先の天候に左右され、思うような収穫が出来ない年があったり、商売自体が未熟で、詐欺などによる被害や損失も一度や二度ではなかったようです。



150人もの農家が集まり、お茶揉み工場を運営



お茶を揉むには茶の葉を蒸して乾かす作業に燃料をたくさん使いますが、第二次世界大戦が近付くと石炭が手に入らず、個人でお茶を製造するのが困難になってきました。
そこで地域の茶農家に「協力してお茶を揉もうじゃないか」と声を掛けたところ、なんと150人もの農家が集まり、お茶揉み工場を建てることになったのです。
これが「かねじょう製茶工場」で、今なお当時の農家さんが株主となって運営されている茶工場なのです。



戦後は兵役から復員した父が、祖父に代わって工場を切り盛りするようになりました。

しかし、東京だけでなく静岡も戦火で焼け野原となり、お茶を買ってくれる相手はなかなか見つかりませんでした。そこで父は製造だけでなく茶の仕上げ加工と卸し問屋も営む業態へと革新し、製造から販売までを一貫する会社となりました。

こうして、お茶農家150名の仲間が栽培したお茶を、自らが最終製品として茶箱に詰め、全国のお茶専門店へ出荷するようになったのです。



味と香りを世界も評価



正にお茶製造販売元としてその品質が高く評価され、生産家の笑顔あふれる組織から生み出されるお茶は、現在まで農林水産大臣賞通算32回を数えるまでになりました。

国際味覚審査会(iTQi)においても、最高賞の三ツ星を2009年以来連続で受賞できまして、
味と香りは世界も認めてくれました。



これからも茶農家さんとともに



私が24歳で入社した時に、父親がとても農家さんを大切にしている姿を見て「農家さんたちは感謝してくれているのだろうか」と父親に聞いたこともありました。
いつも父は「農家は大切に扱うものだ」と一言。
以来36年間、農家さんたちと一緒に良いお茶づくりに取り組み、暑い日も寒い日も、良いお茶づくりに精を出す農家さんたちを見るたびに「この人たちを豊かにしてあげたい」という思いは強くなり、私が46歳の夏、86歳で他界した父の言葉を噛みしめるようになっていました。



祖父も父も農作業の苦労を150人の仲間と分かち合ってきた、その原体験がかねじょうの理念そのものであります。
農家さんたちの幸せ、社員の幸せ、そしてその基盤の上で美味しいお茶をお届けし、楽しいお茶の時間をお届けし、健康をお届けすることで社会に貢献したいというのが我々の願いです。



コーヒーに押され、日本の国民飲料の座はコーヒーになってしまいました。
その影響で茶園を手放す農家が増え、耕作放棄された茶園があちこちに目に入るようになりました。
日本の野菜、日本のお茶、日本のお米を大切にしてもらうことこそ、故郷の美しい山里を守る大きな力になります。農山村の美しい景観を守る意味でも、私たちはお茶づくりを頑張っていこうと考えています。



かねじょうの茶、これからもずっとご愛顧宜しくお願い致します。



佐々木製茶は「2018地域未来牽引企業」に選定されました

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